名作サスペンス映画「眼には眼を」を久々に観る

1957年のフランス映画。
最初に観たのは高校生ぐらいでNHK教育?だったような気がする。

監督のアンドレ・カイヤットは映画監督になる前は弁護士をしていたお方。
そのせいなのかどうなのかは知らんが「裁きは終わりぬ」などの
正義や道徳的責任をテーマにした作品を多数発表している。

なかでも「眼には眼を」はすさまじい復讐劇。

あらすじと感想

登場人物はほぼほぼ2人。
フランス人医師のヴァルテルとアラブ人ボルタク。

物語の舞台は中東の国シリア。
手術を終えたヴァルテルはくたくたに疲れていた。
外は雨の中、自宅の寝室でリラックスしながら一杯。

すると車が止まり見知らぬ男が下りてきた。
門番に腹痛の妻を診てもらえないかと訴える。
これがボルタク。いかつい顔して妻思いな男。

わしゃ疲れとるんじゃ、と直接言ったわけではないが
ヴァルテルは門番にここでは何もできへんから
もうちょっと行ったら病院あるからそこ行けと告げさせる。

ま、すべての元凶はここにあるわけだが
普通の対応といえば普通の対応だ。
しかし、わらをもすがる思いで訪ねてきた患者に対する態度かといえば微妙。
でもまあ、自宅に訪ねてこられてもねえという話ではある。

翌朝、ヴァルテルは宿直医からその後を聞かされる。
ボルタクは車が途中で故障したので、歩いて妻を連れてきたらしい。

盲腸と診断したが容体が急変、開腹した結果子宮外妊娠が判明。
誤診するわ手遅れやわ、こいつもこいつやろという話で妻は死亡。

一応良心の呵責に悩まされるヴァルテルだが、そこはやはり医者。
しかも遅れている国に来てやっていると意識もどこかにある。

しかし、アラブの怪人ブッチャーみたいな
ボルタクにとってはお前のせい以外の何物でもない。

無言電話が鳴り続ける家に住まず
病院で寝泊まりするヴァルテルを言葉巧みに砂漠へと連れ出す。

そのやり口がえげつなく、一応誤解を解こうと思って
自分を追いかけてきたヴァルテルが白人を嫌う村人に
ぼこぼこに車を壊されたのを見計らって登場。

町に戻るバスは数日後しか来ませんねん。

だったら歩いて帰るわい、とヴァルテル。
しばらく歩いたところでまたまた登場し近道おまんねん。

怖い。

砂漠の炎天下の中、ボルタクがヴァルテルを連れまわす。
のどが渇きまくり、疲れ果てたヴァルテルはつぶやく。

「もう死んだほうがましだ」

してやったり、ボルタク。
「やっと言ってくれましたね」
この状況で目を輝かして言うことかいな、アンタ。

そもそも「眼には眼を」という言葉は
「やられたらやりかえせ」と理解しがちだがそれは誤解。
ホントは報復の連鎖拡大を禁じているものだ。

「人の眼を傷つけた時には、彼自身の眼も傷つけられるべし」が本来の考え方。
ま、似たようなもんじゃねーかとも思うのだが。
だって、その彼を傷つけるのは誰がやんのよ。
仕事人にでも頼むんかいという話で。

潜在的上から目線のヴァルテルは、ドリーファンクジュニアが凶器を奪い取って
ブッチャーの腕を刺した時と同じようにボルタクの腕を刺す。

はよ街につかんとお前も死ぬぞコラ!てなもんである。

しかしボルタクは街への道を教えない。
疲労困憊の中、2人の心理戦が続く。
とうとう死を前にしたボルタクは道を教え、
ヴァルテルは最後の力を振り絞り歩き始めるのだが――。

ラストシーンのえげつなさというかどインパクトは今観ても凄い。
人間の復讐心というのは恐ろしいものである。

2時間サスペンスみたいに海岸で告白して改心するなんてくそくらえ。
夏の暑さが吹き飛ぶような戦慄のラストをぜひ観てもらいたい。

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