1963年公開の東映映画。一言でいえば「ナバロンの要塞」時代劇版。脚本を書いたのは池上金男さん。後に時代小説でヒットを飛ばす池宮彰一郎さんの若き頃。脚本コピーしてどっかにあんだよなあ。あらすじと感想時は江戸時代初期。2代将軍秀忠亡き後の家光と駿河大納言忠長との争いの頃。忠長側の秘密の血判状を盗むべく組織された伊賀忍者17人とそれを阻止すべく忠長側に雇われた松方弘樹のおとっつあん近衛十四郎との知恵比
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1961年松竹で映画化。2009年にも映画化されている。テレビドラマでは何回やっとんねんて感じだが、6回やってる代表作。あらすじと感想ストーリーに関していえば単純といえば単純。見合い結婚して一週間後、金沢に出かけた夫が戻ってこない。新妻は金沢に夫を探しに行くが、夫は別人として自殺していた。遺書もあるし、自殺に疑いはないと思われた。しかし、新妻は夫の自殺に疑問を持ち1年後再び金沢へ――という話。で、
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1958年公開の東映映画。社会派推理小説ブームを巻き起こした松本清張。そのブームを作り出したのはこの「点と線」なわけだが面白いのはこの作品は動機に重点を置くのではなく、時刻表トリック始め謎解きの部分にウエイトを置いていたことだ。さらに面白いのは原作者は動機の部分を削ったのに、映画はその動機の部分を膨らませ前半をミステリー、後半は哀しい女のドラマとして構成していることだ。あらすじ映画のトップシーンは
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1958年公開の松竹映画。監督・大庭秀雄、主演・佐田啓二という「君の名は」コンビ。手形のパクリ詐欺という経済犯罪を扱ったところが新しかった。あらすじ昭和産業の会計課長が手形のパクリ詐欺にひっかかってしまい自殺。事の詳細を綴った遺書を受け取った中井貴一のおとっつあん佐田啓二は上司の無念を晴らすべく犯人を追い始める。事件を追ううちに金融業者の社長秘書に恋をし友人の新聞記者の協力を得ながら真相に近づいて
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1979年公開の松竹映画。原作はエラリー・クイーンの「災厄の町」。監督は野村芳太郎、脚本は新藤兼人。出演は栗原小巻、松坂慶子、小川真由美、竹下景子など女優を中心に豪華な面々。あらすじ日本文化の研究のためにアメリカから叔父(佐分利信)を訪ねてきた若者ボブ(蟇目良)。叔父の家は山口県萩市の名家で、麗子(小川真由美)、紀子(栗原小巻)、恵子(神崎愛)の美しい三姉妹がいた。紀子は藤村(片岡孝夫)と婚約して
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2005年公開の東映映画。誰と観に行ったのかさっぱり記憶がない。公開当時、あまり期待せずに観に行ったのだが意外に面白かった。その印象は久々に観てもあまり変わらない。なんでそう感じるのかといえば、やっぱり脚本がちゃんとしているから。中年のサラリーマンが高校生に喧嘩を習うというだけの話なんだけどある意味お互いの成長物語というか変化がわかりやすく伝わってくるのがいい。中年サラリーマンが堤真一で喧嘩教える
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1981年のにっかつ映画。アリスの同名曲がテーマソング。同じ日活でも石原裕次郎の同名映画とは別。あらすじと感想まあなんちゅうかやるせない映画。久々に観てもそのある意味けったくそ悪さは変わらない。どんな話かといえば、田舎から都会に出てきた青年が金持ちの娘に惚れてしまうが最後は悲劇を迎えるという話。青年を演じたのは本間優二。暴走族ブラックエンペラーの名誉総長も務めたお方。現在は芸能活動をしていないが何
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1981年公開の角川映画。セーラー服姿の薬師丸ひろ子が機関銃をぶっぱなした後につぶやく「カ・イ・カ・ン」が話題になった。冷静に観るとあのシーン結構危ないわな。あらすじと感想親を亡くしたばかりの女子高生が突然暴力団の組長に就任するというなかなかとんでもない話。今だったら作るのにいちゃもんつけられそうだ。しかも就任するだけでなく、麻薬に関する事件に巻き込まれ敵対する組の本部に殴り込みをかけ機関銃をぶっ
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1963年の松竹映画。村八分を通じて群集心理の恐ろしさを描いた作品。出演は加藤剛、岩下志麻、菅原文太、加賀まりこ、加藤嘉、田中絹代。あらすじ太平洋戦争末期、北海道の村に疎開してきた一家。その娘(岩下志麻)に村長の息子(菅原文太)との縁談が持ち込まれる。しかし、息子は評判の良くない男で戦地で起こした残虐行為を娘の兄(加藤剛)に目撃されていた。縁談は破談となり、その日から村人たちは一家に嫌がらせを始め
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1965年の東映映画。監督は内田吐夢、原作は水上勉。出演は三国連太郎、高倉健、伴淳三郎、左幸子など。あらすじ1947年9月。青函連絡船遭難の日に犬養多吉(三国連太郎)は仲間2人と質屋一家を殺害し火を放った。そして函館から小舟で下北に逃げたのだ。刑事弓坂(伴淳三郎)は身元不明の水死体に疑問を持つ。しかし、結局事件は迷宮入り。それから10年が経った。舞鶴で犬養は樽見京一郎と名を変え、篤実な実業家として
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