笹沢左保「花落ちる-智将明智光秀」を久々に読む

1989年出版の長編歴史小説。
もともとは「山崎の電撃戦」というタイトルで1970年に出版されたもの。
明智光秀が謀反するに至った心理を描いた内容。

あらすじ

織田信長に仕えて以降、手腕を評価され着実に出世していた明智光秀。
しかし、大物をあらかた抑え、天下人を気取り始めた信長を光秀は次第に憂う。

おまけに佐久間信盛を筆頭に古参の重臣を
過去の子細な理由で追放する信長の姿を見て、
このままでは自分も同じ目に合うかもと考えても不思議ではない。

何せいまだあちこち檄を飛ばしている
足利義昭と信長を最初に結びつける役割を果たしたのは自分だからだ。

光秀は千載一遇のチャンスを逃さず本能寺にて信長を討ち取り、
続いて信長の長男・信忠も討ち果たす。

そして各地に書状を送るのだが――という話。


感想

架空の人物・助四郎の視点から光秀の内面を描いた作品。
毎度おなじみエキセントリック信長の姿も描かれる。

まあ癇癪持ちだったことは確かだろうが、
戦国武将におっとりしている人間を探す方がどだい無理。

読んでいるうちにだんだん興味持ってくるのは
光秀に呼応しなかった細川藤孝・忠興親子かな。

藤孝は光秀と一緒に信長と義昭を結びつけた同士みたいなもんだし、
忠興に至っては光秀の娘・玉子、ガラシャだからねえ妻は。

結果的にはこれが功を奏し、藤孝なんか77歳まで長生きする。
文化人としても名を馳せた人ですからな、幽斎って名前だったっけ。

やっぱり向き不向きがあるのよ、人生には。
全員4番バッターでは試合勝てないのと一緒で。

別に可能性を否定するんじゃなくて、
自分のポジションの確立というか
そういうのとはまた別問題だもんねえ。

まあ光秀はヘッドコーチには向いてても
監督には全く向いていなかったというのかな。

家臣には慕われてたみたいだけど。

なんか光秀ってタイプは全然違うんだけど、
三国志に出てくる魏延を連想すんのよね。

だって朝倉のところにおったけど見限って
信長のところに来るんだもの。

しかしそのまま仕えててもやがてはどっか飛ばされたかもしれんし。
歴史のイフというのは難しいもんですな。

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