1953年製作の独立プロ映画。
製作の母体となったのは日本教職員組合。
多くの民主団体が参加し、これを支えた。
米原先生を演じた月丘夢路は広島県出身。
とくにこの映画への出演を希望して話題となった。
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あらすじ
広島のとある高校。
北川先生(岡田秀次)が担任を務める3年生の
3分の1は原爆の体験者だった。
ある日、一人の少女が白血病で倒れてしまう。
原爆投下の日である8月6日、
勤労動員で女学生を引率していた米原先生(月丘夢路)。
現場へ出たが一瞬の閃光と共に焼けただれて川の中に。
その後、疎開先から戻ってきた幸夫と洋子。
しかし、母や兄弟は被爆で亡くなり、
残った父も病院で息を引き取ったあとだった。
幸夫は孤児として施設に引き取られるが、
行方不明になった洋子を探して脱走を繰り返す。
こうした子供たちがあふれかえる中、
人々は窮乏し疲弊し明日のない日々を過ごしている。
それでも立ち上がった人々は
「原爆許すまじ」と原爆ドームに向かって行進する――という話。
感想
NHKでも取り上げられ、世界的に話題を呼んでいる作品。
かつて独立プロで作られたものが今日脚光を浴びるなんてね。
もともと原作はヒロシマピースセンター理事長だった
長田新さんの「原爆の子」。
これを聞いて「あれ、どっかで聞いたことあるなあ」と
いう人は結構古い映画を見ている人かも。
実は「原爆の子」は1952年8月6日公開の
新藤兼人監督の同名映画。
これが原爆を初めて描いた作品である。
で、なんで同じ原作で2つあるかというと
新藤監督の映画はドラマ仕立てにし過ぎて
原爆の姿が伝わらないということで日教組が反発し、
別々に映画製作したからなのだ。
映画って主義主張で作るもんじゃないんだけどね。
実際「原爆の子」と見比べてみると、
どちらが観るものの胸に響くか。
ま、それは人それぞれだと思うけど。
何にしろどういう形であれ古い映画が見直されるのは
いいことだと思うし、平和でなければいい映画も作れませんわな。
しかし、同時にいろいろ教訓も生かさんかいという話で。
例えば、平和をうたいながらいつまでも分裂している
団体はいったい何なのよと思うわけだし。
戦後これだけ原爆の被害であちこち平和教育してきて
いざ原発事故起きたら風評被害が起きたり、
福島から引っ越した子供たちがいじめられたり。
何のための勉強だったのか。
ちっとも役にたっとりゃせんじゃないの。
なんてことも思ったりするわけですな。
平和を語るんなら本気でやれよ、
自分のメシの種にするようなことやるなよ。
反戦映画観た時って素直に感動するのと同時に
そんなことも頭をよぎるのよね。
そうしたことに携わった経験を持つ者としては。