佐野正幸「パ・リーグ激動の昭和48年」を読む

2015年日刊スポーツ社より発行の1冊。

昭和48年は自分が生まれた年なので、興味深く読んだ。
この年のパ・リーグが現在に繋がっているという視点が面白い。

この年のパ・リーグの変革のポイントは次の通り。

・前期と後期の2シーズン制が導入され、
前期優勝チームと後期優勝チームで5戦3勝制によるプレーオフを開催。

・金田正一がロッテ監督に就任。
いろんなパフォーマンスでパ・リーグを盛り上げる。
その一方、本拠地を失ったロッテは各地を転々、
ジプシー球団と揶揄されることに。

・東映フライヤーズ(現、北海道日本ハムファイターズ)と
西鉄ライオンズ(現、埼玉西武ライオンズ)が別会社に買収される。

・前期は南海ホークス(現、福岡ソフトバンクホークス)が優勝、
後期は阪急ブレーブス(現、オリックスバファローズ)が優勝。
南海を圧倒して後期優勝を果たした阪急が断然有利と思われたが、
プレーオフでは1・3・5戦を勝利した南海がリーグ優勝を果たす。

このプレーオフは後々まで語り継がれることになるけれど、
リアルタイムで過ごしていた人の話は面白い。

この年に生まれた自分らにとって
野村克也といえば野球の本でとにかく2位に出てくる人で、
テレビ解説で「野村スコープ」言うてやってた人ってイメージ。

要するに過去の人であって、
ヤクルトの監督に就任した時も
「なんか顔色悪い人やなあ」って感じだった。

大阪球場も西宮球場も日生球場も藤井寺球場も今は無し。
初めて野球観戦したのは日生球場だった。
1980年ぐらいかな、近鉄VSロッテのデーゲーム。

日ハムに来た江夏を見たのも、日生球場だった。
昭和は遠くなりにけりだが、温故知新は大事。

1973年は巨人V9の最後の年で、
巨人ファンだったうちのオヤジなんかは
10月に俺が生まれて巨人優勝して
さぞかし嬉しかったんだろうなあ。

そのオヤジも亡くなって今年で30年。
墓参りでもしようかね。

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